親愛なる原野くん


原野くん、ご無沙汰してます。
高校で一緒だった江間 優です。覚えてないかな、仕方ないかな。

僕は、雑誌「pen」をなんとなくFacebookでフォローしていました。
Pen-onlineの『ナイキやバーガーキング…… コロナや分断の中で時代を見事に切り取った、必見広告4選』という記事の題名に興味を持って、内容を見てみたら、そこに原野くんが!
1971年静岡生まれ、そうだよね、原野くんだよね! すごい、すごい! びっくりしました。
そして そのあと、すこしへこみました。同じ高校を同じタイミングで卒業したあと、原野くんは こんなに活躍しているのに、僕は ぱっとしない感じ。「いったい なにやってきたんだ、オレ」「何が足りなかったのか」と思いました。

僕にとっての高校の3年間は、ちょっとした黒歴史です。
中学の時は、テストや1500m走が「学年1位がとれるかどうか」という たのしいゲームのようだったのに、高校に入ったら、もっとすごい人ばっかりで、自分が急にちっちゃく、つまんなくなっちゃいました。
体育がすごく苦手で、サッカーでたまたま自分のところにボールがきちゃって、しょうがないからドリブルしてみたら、玉乗りのようにボールに乗っかっちゃって、すってんころりん。みんなからすごく笑われました。
あのとき、原野くんは同じグラウンドにいたのかなぁ? いても、そんなこと、忘れちゃったかな。
急に すごく変なエピソードを言ってしまったけど、あれが高校生活で僕が一番注目を集められた事件だった気がします。
みじめな思い出が多くて、高校のことは なるべく思い出さないようにしていたのだけど、原野くんと Pen-onlineの記事で再会して、なんだか途端に、高校時代が大切なもののように思えてきました。
「僕、この人(原野くん)と高校で同級生だったんだよ」 と自慢したくなりました。

それで、すぐに急いで『ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門』をAmazonから取り寄せて 読みました。
僕はあまり本を読まない方で、序説と最初のほうだけ読んで「OK、わかった」と言っちゃうタイプです。
だけど、『ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門』は 最後まで 夢中になって読みました。
最後に「また、どこかでお話しましょう、さようなら」と書かれていて、本当に別れが惜しかったです。

巨人・原野くんの肩にのぼって、見渡してみたら、ものすごく新鮮で、とてもたのしかった。
原野くんの文章がとても素晴らしく明快だから、原野くんの肩にのぼるのは簡単でした。するするとのぼれました。
「簡単だった」といっても、「こんなこと読む前から知っていたよ」というのではなくて、「あ、そうか!」と思うことばかりでしたね。50年間 ずっと考え続けてきたことについて、原野くんが明快にパパっと整理してくれました。
電車の中で読んだから、「そうか、そういうことか!」と膝をパチンと打つことは さすがにしなかったけど、「そうか、そういうことか!」という顔はしてしまいましたね。

ちょっと詳しく話すと、たとえばこういうことです。

人は、「自分という存在、自分の意識というものは いったいどういうものなのか?」と不思議に感じます。
それは、とても特別なもののように感じられて、それを「魂」と呼んだり、死んでも残るものだと思ったりします。
「魂は身体とは別に独立して存在していて、それが身体に乗り込んで運転しているんだ」とか思いがちです。 
だけど、「自分の意識というのは、脳の活動にすぎないのだろうな」と、僕も思っていました。
「脳が身体の内側にあって、外に向かって目や耳や手足がついている構造なので、脳の活動である自意識というものは、一人称になって当たり前なんだ」と気づいたのは、ここ数年のことです。
(何かの一部としてではなく、一人称で存在している感覚が、自分という存在の神秘性を成していると思うんですよね)
身体の外から魂が乗り込まなくたって、脳のはたらきによる「わたし」「自我」は存在できる、ということまでは 気づいていました。
だけど、脳や神経系を全部一括りにして考えていたものだから、依然として「自分の意識は自分の身体の中心にいるものだ」と思い込んでいたんですよね。
「『大脳新皮質の自分』と『自分の大脳辺縁系』の二人羽織になっている」なんてこと、気づいてませんでした。
そうか、自分の意識は 中心のちょっと外か。そうか、そういうことか、そうだよね。 
自分自身から外を見ている感覚だけでなく、自分を外から見ているような感覚も、そういえばあります。
「二人羽織なんだ」という前提で いろいろ考えなおしてみると、いろんな疑問が するすると解けていくような気がして、もう 驚くやら、気持ちいいやらです。

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"すべては、個人的な「好き」から始まる"
"「好き」は同じ「好き」を共有する他の人間と新しい結びつきや連帯をつくるものとして機能する"

というのも刺さりました。クリティカルヒットです。
「日本では あまり『あなたは何者か?』と問われないが、海外では それが問われるんだよ。」というようなことを聞きます。僕も就職活動のとき、「あなたは何者か?どのようにスペシャルか?」という質問に苦しみ続けました。
自分が何者であるか、を説明しようとするとき、「FCバルセロナの大ファンです」みたいなことを言うのはくだらない、と僕は思ってました。それでは あなたのことを説明したことにならないじゃないか、と。あなたは他の人とどう違って 何ができるのか、を説明しなければ ダメじゃないか、とね、そう思ってました。
「自分は何ができるのか」も大切だけど、「自分が愛するものは何か」ということこそが大切なことだ、それを自分の声で語りなさい。そう 原野くんが 言ってくれました。すごく素直になれる気がしました。
「自分が愛するもの」「大切にしているもの」は、過去や現在だけでなく、将来にわたって、「私はどうあり続けるか」を説明してくれるものね。 

僕は今、旅行会社に勤めているのだけれど、良いところがいっぱいある会社だとは思うのだけれど、「何か大事なモノが、スッポリと抜け落ちている」という感覚がずっとありました。すごく歯がゆいんです。
あぁ、抜け落ちているのは、「『旅行が大好き』の共有と、そこからうまれる社員の結びつきや連帯」だったのか。
原野くんのおかげで、それを再認識しました。そして、これは 大問題ですね。
「自分はどんな旅行が好きか、どんな旅行がしたいか」とか、「旅行って、なんでこんなに ときめくんだろうね」とかいったことは「個人的な感想です」扱いにしてしまって、話題にあげる必要がないもの となってしまっています。
Why が抜け落ちて、What と How だけを話題にしていたのが、いろんな歯がゆさの原因なんですね。
何だか うすうす気づいてはいたのだけれど、こんなに明快に言葉で表現してもらって、ありがたかったです。

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"「自分の好きなことがわからない」というビジネスパーソンやクリエイティブ初学者は、意外と多い。そういう人は「嫌いなこと」から始めてみるとよい。この商品のここはイマイチだなとか、このニュースのここが不愉快だなとか、イヤなことや、嫌いなことは、わりと簡単に見つかるかもしれない。そうしたら、それを「反対」にしてみるといい。その欠点をどのように改善したら「好き」になるのか。この社会をどのように変えたら「好き」になるのか。「嫌い」というのは、「マイナスの好き」である。あなたの個人的な不快感や憎しみの中に、あなたの「個人的な好き」は隠れているのだ。"
というのはね、僕も最近 発見していました。だから、原野くんと意見が合って、すごくうれしかったです。
電車の中でニヤニヤニヤニヤしてしまいました。

 濱口秀司さんが、「イノベーションを生み出すプロトコル」というものは存在するんだ、と言っています。
「ブレストは 『aを取ればbを失うし、bを取ればaを失う』というトレードオフの関係を見つけ出すために(見つけ出すまで)やりなさい。aとbのバランスがとれそうな中庸のポイント c を見つけようとしては ダメです。a も b も同時に満たす d があるはずだから、それを考えなさい。それこそが、イノベーティブなアイデアです。」と言います。
「賛否両論 真っ二つで議論がわき起こる 突拍子もないようなことでないと、イノベーションにはならない」そうです。

もうちょっと手軽に解釈すると こういうことかな、と思います。

①イヤなこと、不快に感じることをみつける。
②イヤなこと、不快に感じることから一直線に逃げてみる。逃げたら逃げたで、途中 いろんなものを失うことに気づく。そのことで、かなり 動揺してしまうが、「来た道は戻らないんだ」と決心する。
③来た道を戻らずに 失ったものを取り返す方法を真剣に考えて、「前例がない」なんてことは関係なしに 実行する。
("イノベーション"でなくてもいい。視点やアプローチを切り替えることで新しい望ましいビジョンが得られる。)

息子が不平を言うとき、これを一緒にやれる父親になりたいです。「これをやるまでもない程度のことには、最初から 不平を言わないほうがいいな」と理解できたなら、ずいぶんと立派な人になってくれると思います。

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僕のひとり息子は 小学二年生、8歳です。名前は、「優しい理」と書いて ゆうり です。
「理」というのは「大脳新皮質」のことですからね、原野さんの本を読んで、「あ、しまったかな、やっちゃったかな」と最初は思いました。
でも 、自分として認識するのは大脳新皮質のほうだから、自分を指す名前に「理」とつけるのは 悪くはないか。
大脳辺縁系が優しさを大切にするのなら、なかなかイケてる絶妙な名前ってことになりますかね。よかった。

少し前までは、見ているだけで かわいかったのですが、小学校にあがるころから、 かわいくなくなりました。(笑)
いやいや、まだ かわいいんですけどね、かわいいというだけでは ゆうりを見られなくなりました。
ゆうりが変わっていっている、成長している証拠ですけど、それよりも変わったのは、僕のほうかもしれません。
ゆうりに "言葉で" いろんなことを言い聞かせようとしていました。
「ゆうりは 言語面が弱いかな」ということ、すごく気にして、「それじゃダメだぞ」とたくさん脅していました。 
「もっとも有効なセリフは "無言" 」「わかりやすい というのは罠」ですか。 これには、鈍器でガツンと殴られました。
そうか、ゆうりの問題ではないのかー。問題は、父親のプレゼンのほうにあるのですね。
大脳辺縁系をふるわせ、満たすようなことをしないで、 大脳新皮質のほうばかりを気にしていました。あぶない。
もっと ゆうりの「好き」を表現させて 「なんで?」「どこらへんが?」とちゃんと興味を持って聞いてみたり、父親の「好き」を見せたりして、「好き」の交換をすることが 大切なんですね。
「感動を論理的に言語で説明することは、そもそも不可能」なんだから、ゆうりが発する「好き」を心で聞かないといけないんですね。

そういえば! ゆうりが「森の木琴」と「OK GoのI Won't Let You Down」を観てね、言葉をうしなって見入った後に、「かっこよ!」と目をまん丸くして言いました。ちゃんと届きましたよ。ゆうりもセンスいいでしょう?


『ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門』は、本当におもしろく、私の中に染み入りました。
間違いなく、大切な一冊になりました。
僕が大切に想っている人にもプレゼントすることにします。
クリエイティブの領域を少し離れても通じる大切なことが、書かれていますからね。きっと喜んでもらえると思います。

再会できて、本当に嬉しかったです。どうもありがとう。

最初のほうに「何が足りなかったのか」なんて書いたけど、足りなかったというより、原野くんが、信念にもとづいて、仕事をひとつひとつ選んで、毎回アウェイの中でチームを組んで、不屈の精神でやってこられたことであって、それはそれは生半可なことではなかったのだろうと思います。
それが時々 ムービー内で見られる 原野くんのまっすぐな視線にもあらわれていました。

忙しいのに、生半可な覚悟の、長く拙い文章を読ませちゃって、本当にごめんね。 
こんな僕ですが、原野くんの何百分の一スケールで戦いを展開しています。
50歳を迎える今、より若い後進の人たちに、濱口さんの言う、a でも b でも c でもない d の存在を見せて、その存在を信じてもらえるような仕事や振る舞いをしたい、と思っています。そのためには、「a や b や c じゃなくて」と、いろんなものに No を言う必要があります。「あなたのことを全否定したいのではない」と できるだけ丁寧に説明したり、それでも たびたび噴火して敵をつくってしまうので、なるべく否定をいっぱいしなくても わかってもらえそうな仲間を探して集めたりしながらね。「d はありますよ」 と、見せて証明していかなければならないから、少しだけ疲れていました。
原野くんの何百分の一スケール、何百分の一のスピード の話ですけどね。これが僕のサイズです。
原野くんに再会できて、本当に本当に力をいただきました。それがとにかく うれしかったです。尊敬しています。

原野くんが表現する ちょっといい未来を もっともっと観たいから、株式会社 もり のホームページ をときどき覗くね。



『ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門』を読んでみたい人 大募集! 

「わたしはビジネスパーソンではないんだけど…」 というのでもOKです。たぶん、大丈夫。おもしろいです。
Amazonでも買えますが、できれば、僕からプレゼントさせてほしいです。
「僕の同級生の原野くんが書きました。僕の大切な友達のね。」と自慢させてください。

(自慢したいだけですからね、お返しも感想も必要ありません)

すぐに手渡せる場所にいる方には、こちらから勝手に持参するけど、ぜひ読んでみてね。

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