ゆうりしんぶん 2025年2月号
うごく、ゆうりくん
2025年1月のゆうりくん
星野リゾート OMO5 東京大塚に泊まってきました。
... 東京都民なのに。
まぁ 東京都民なので、土曜日の夕方に学習塾に行ってから
泊まりにいけます。
普段、大塚なんて行かないですけどね。
OMOだと楽しめちゃいます。
星野リゾート OMO5 東京大塚
冬は、遊びに行くところがない。さむい。
どこもかしこも ライトアップイベント。LEDは安上がりで イベントプランナー 横ならび、脳死。
そういうときは、星野リゾートさんに相談するのだ。
OMO5 沖縄那覇に空室がある! 那覇!あったかそう。でも遠いかー。
ママの希望は OMO5 東京大塚。
えー?東京大塚? 大塚なんかに なんもないで?
でも、ちゃんとたのしいんですよ。
山口不動産というディベロッパーさんが再開発をしていて、OMO5 東京大塚もそのビルに入っています。
オレンジ色のあかりがきれいな 東京大塚のれん街をつくったのも山口不動産。
東京大塚のれん街の居酒屋『ブタマミレ』で よるごはん。どのお料理もおいしい。
「ナポリタン焼きそば」に ゆうりくんが ドハマりして、ひとりで全部食べちゃいました。
だから、「ナポリタンなの? 焼きそばなの?」の答えが わからないまま。
ホテルの部屋にもお風呂はあるけど、『大塚記念湯さっぱり銭湯セット』が部屋に用意されていたので
銭湯「大塚記念湯」のお風呂に入りに行きます。
ホテルから大塚記念湯に行くのには、JR大塚駅をこえて、ディープな他国籍商店街を抜けていきます。
42℃の江戸っ子の熱いお湯に入って、コーヒー牛乳を飲んで、
「大塚記念湯」でもらった うまい棒をかじりながら、ホテルに戻っていきます。
途中、アジアの食材を扱うスーパーで商品を眺めているときに、ゆうりくんの友達からLINEの電話。
友達は 12月まで小学校のクラスメートだったけど、1月からマレーシアに留学しています。
お友達はたぶん、まったく一人きりでマレーシアの学校の寮生活をしているので、
ゆうりくんの声が聞きたいんでしょうね。
このお友達とLINEしたくて スマホを買った、と言っても過言ではありません。
電話が終わるまで じゃましないでゆっくり待ってあげることにします。
「今はどこで何してんの?」と訊かれて、「海外のスーパーにいるよ」と答えるゆうりくん。
混乱した友達が「どういうこと?どこの国にいるの?」と訊いてくるので、
「そうじゃなくて、日本の、海外の、スーパー」とさらにややこしい説明をしてしまう。
ゆうりくんの日本語能力、説明能力は かなりまずい。この伸びしろは いつか埋まるのでしょうか。
翌朝は ホテルのアクティビティ『下町の雰囲気が残る大塚で、都電を見つけるお散歩』に参加します。
これこそが、OMOの魅力です。
大塚なので、そんなに すごいもの、おもしろいもの があるわけではないんです。
でもね、ホテルのスタッフさんが 一生懸命に、丁寧に、大塚のまちを案内してくださるから、
大塚に親近感がわいて、好きになります。そういうの、すごく大切です。
都電荒川線に2駅だけ乗って、池袋 サンシャインシティへ。
予約していた『mipig cafe』に行って、マイクロブタちゃんたちとたわむれます。
でも、予想していたのと違う!
ゆうりくんのほうから ブタちゃんにからみに行くんだと思ってたけど、ブタちゃんのほうから来る。
ゆううりくんは 1ぴきと ゆっくりたわむれたいのに、ブタちゃんが集団でやってくる。
いっぴきのブタちゃんが膝に乗ると、「いいなぁ ボクも」と 次から次にブタちゃんが乗ってきて、
これが本当のブタマミレ。
でかくなってるぅ?
小学校の上履きが、絶望的に汚れているので、新しい上履きを買いに行きました。
試し履きをして、「これがいいね」と購入したサイズは 23.5cm。
え?でかくね? ママと同じサイズくらいじゃね?
絶望的に汚れていた上履きは21.5cm だったんだけど、よく履いてたな。
お店のおばさんいわく「男の子はね、小さくなったって言わないの。気づいてもないんじゃないかな。」
男の子って、そんなに鈍感なのか …。
身長は 143cmくらい。なーんだ、やっぱり どチビじゃないか。
でも クラスで一番のチビぐらいだったのが、何人かを抜いたらしい。
どうやら ひそかに身長が伸びているらしいのだ。
「かかとが壊れそうに痛い」というので、病院に行ったら、
『アキレス腱あたりの成長速度に 骨の成長がついていけてないんですね』とのこと。
えー?それって成長痛じゃんか。成長痛の現実例、はじめてきいた。


仕事で横浜に行った日の帰り道
湘南新宿ラインに乗ったつもりが、
京浜東北線か何かに乗ってしまったらしい。
新橋を出発したあたりで、やっと気づいた。
なんでやねん、なんでやねん。
JR わかりずらいわ。嫌いやわ。
やっぱ東横線に乗ればよかった。
もうええわ。東京駅で降ります。
電車を間違えてしまい帰りが遅くなることを
LINEで報告すると、ゆうりくんから
たった1秒の動画が送られてきます。
チャットでもなく、スタンプでもなく、
「どんまい」の自撮り動画をすぐ撮って
送ってきてくれる。
思わず笑ってしまって、
「ま、いっか」と気持ちが落ち着く。
抜群のセンス♡
そういうセンス、ほんとうにすごいよ。
2025年1月17日の糸井さんのことば
人が「こんなことは常識だ」と思っていることは、
ほんとうには「常識」になっていないと思うんです。
中学の、理科でも、社会でも、数学でも、英語でも、
実にたくさんのことを習っています。
ぼくらも学んだような気はするし、習ったとは思います。
教科書にはたくさんの大事なことが記されてます。
そして、学べたかどうかをたしかめる試験もありました。
よく「そんなことは、常識でしょう。
中学校の義務教育で習ってるはずですよ!」とか、
言いたがる人がいますが、
それはそのとおりで、習ったはずなんですけどね。
その当時だって、みんなが満点じゃなかったんです。
90点だったか30点だったか知りませんけどね、
ぜんぶ100点だった人なんかいませんから。
教科書には書いてあったし教室で習ったはずだけど、
「一部、あるいは大部分を、理解したり記憶したり
…してなかった」のです。
しかも、習って間もない時期の試験でも満点じゃないのに、
それを学んでから何年も何十年も経っているんですから。
憶えていられると思いますか、開き直るわけじゃないけど。
ものすごく間違ってるし、ものすごくわかってないし、
ものすごく忘れているんです、それがふつうです。
ある人にとっては、憶えていて当たり前であろうところの
「二次方程式の解の公式」を使って、
あなたはなにか問題と答えとを作成できますか?
恥ずかしいけど言いますが、ぼくはできません。
だいたい、公式さえ忘れたままで半世紀経っています。
「ゲルマン人の大移動」はいつ、
で、どういうことを契機に始まったことですか?
「そんなことも答えられないで、よく生きてこられたな?」
とか責められるでしょうが、
そしたら、「生きてきました」と答えるしかありません。
義務教育で、教科書に書いてあることでも、こうですから、
だれから習うのかわからないことについてはもっとです。
親にも先生にも、たとえば「人の愛し方」を習ってません。
たとえば「けんかのしかた」も「仲直りのしかた」も。
みんなが、なんとなく「じぶんなり」にやってるだけです。
教えられたことも話し合ったこともないような気がします。
そりゃぁ、世の中ややこしくなるのも当たり前ですよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
昨日は「暴力は犯罪です」と書かれたポスターを見ました。
いやぁ、でも、心配しちゃいますよ。
あれも知らないのか、これも知らないのか。
「え?ゆうりくん、それ、学校でもう習ったはずだよ?」と。
糸井さんが言うほど、学校で習ったことを忘れてしまうわけではないと思う。
天皇の名前と関わる歴史的事件については、まったく興味ないから忘れたけど、
日本史の大まかな流れは覚えてる。
ゆうりくんが最近解いている、円周の長さや面積の求め方とかも覚えてる。
ゆうりくんは、
角の大きさを求めるような問題がきらい。
「そんなの分度器で測ればわかるじゃん」っていう意見、
おとうさんも 小学生のころ同じように思ってました。
でも、定理をちゃんと積み上げていけば、最小のヒントだけで 答えが導き出せる。
それって、すごく大切な学びのような気がするよ。
おとうさん、仕事を辞めたら、数学について学びなおしてみたい。
『線形代数』『行列と数ベクトル』とかの説明を読んでみると、
「まぁ わかるけど、それがどう役に立つの?」という疑問が浮かびます。
高校のころは、そのことにイライラしていたような気がするけど、
今は「これがどう役に立つのか 続きが知りたいです」って感じることができる。
2025年1月23日の糸井さんのことば
近くにいる人とはよく話しているのだが、
あらためて書くのははじめてかもしれない。
「ワークライフバランス」ということについてだ。
ぼくはこのことを専門に研究している人間でもないが、
「ワーク(はたらく)」についても、
「ライフ(生きる)」についても人並みに考えてはいる。
どちらのことも、真剣に考える必要があるからだ。
そこらへんのことをいい加減にしていると、
じぶんが生きることや、じぶんがはたらくことだけでなく、
いっしょに生きている人たちや、いっしょにはたらいている人と、
幸福なつながりを持てないと思うのだ。
で、「ワークライフバランス」について端的に言うと、
そのことば自体が、ほんとはおかしいんじゃないかと思う。
だって、「ライフ」は生きること、生きていること、
人生、生活、生命、というような意味のことだし
「ワーク」のほうは、仕事、労働、勤務、業績、作品、
というような意味のことだろう。
これをよく考えてみたら、思うのだ、
「ライフ」というのは「ワーク」と、
どっちがどうと天秤にかけてバランスを考えるような、
同じような大きさのものじゃないのだ、格がちがう。
大きな「ライフ」のなかに、「ワーク」もあるのだ。
赤ん坊の「ライフ」のなかに「ワーク」はない。
子どもの生きることのなかに「はたらく」は不要だ。
大人についてだって、「はたらく」ことは、
「生きること」の一形態だというのは同じだ。
「ワーク」に真剣になることも、時間をつかうことも、
それは「ライフ」の「あるかたち」なのである。
「ワーク」が奴隷のように強いられたものなら、
そういう場合は「生きること」の大きな部分が損なわれる。
逆に「ワーク」がよろこびと共にあるのなら、
その「ライフ」も当然のようによろこびとなる!
どう「ワーク(はたらく)」するかを考えるなら、
その前に、どう「ライフ(生きる)」かを考えるのが、
順番というものじゃないだろうか。
それは「どういう人生になりたいか」と同じだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
職業名にとらわれすぎないで「ワーク」を考えたいものだね。
まぁ、そうですね。
おとうさんも、「ワークライフバランス」って言葉に
ちょっと違和感を感じていました。
でもどちらかというと、「ワーク」と「ライフ」って同じじゃん?
というか、「ワーク」と「ライフ」って地続きじゃん?
というような感じでしょうか。
別物として分けてとらえてバランスをとりましょう、みたいなの、
そんなことしなくてもいいのではないか、という違和感ですね。
そう感じられるのは、おとうさんの環境が恵まれている ということなのかな
と思います。好きなやりたいことを仕事にできている、というかね。
でもさ、ふつう 人って、やりたいことを仕事にするじゃん?
だから、分けて考えるの、おとうさんにとっては難しいんだよね。
糸井さんの意見に賛同しつつ、でも ちょっと言い過ぎだと思ってて。
「赤ん坊や子どもは働かない」とか「順番」とかの話じゃないと思う。
「ワークライフバランス」という言葉が表現したいのは、
すぐに役立つのが「ワーク」で、何に役立つのか よくわからんのが「ライフ」
どっちもやろうぜ!ということなんじゃないですかね。
「これは明日すぐに役立つぞ!」というものばかりじゃなくて、
なんか知りたい、わかりたい、うまくなりたい、楽しいかも、気持ちいいかも
ということにも ちゃんと時間を使おうよ、ということなのだと思います。
MUSIC
2025年1月のうごく、ゆうりくん
の楽曲紹介
Eye Candyさんの ♬ "Midnight Cowboyyy" です。
Eye Candyさんは ニューヨーク、ブルックリンのアーティストです。
Spotify の Release Rader が連れてきてくれました。
いつもありがとう、Spotify。
小5になると、動画にあてるのは、女性のヴォーカルより、
男のヴォーカルのほうが 合うようになってきました。
Spotify Recommend Radio January 2025
『うごく、ゆうりくん』 プレイリスト
先月号も読んでね
ご感想、あなたのニュースや、 あなたが「過去にまみれたもの」など、おきかせください。