ゆうりしんぶん 2024年5月号


うごく、ゆうりくん

2024年4月のゆうりくん 

4月のおでかけは、三崎口です。

京急の終着駅から バスに乗って行くと三崎港の港町に着きます。
三崎まぐろとか、金目鯛とか、おいしい魚が食べられる
それだけの町ですけど、そういう町のお散歩ができるような
お兄ちゃんのゆうりくんになってきました。

ゆうりくんは、ウニだらけの海に足だけ入りました。
天気が良くて、あたたかくて、気持ちよかったです。


Happy Birthday

5月1日で、ゆうりくんは11歳になりました。
11歳っていうと「11年目に入りました」というイメージがありますけど、
ただしくは「11年生きてきて、12年目に入りました」なんですよね。ちょっと意外。(そうでもない?)

身長はたしか…137cmかな? 
いまどきの11歳の平均身長は146cm。10歳の平均身長が140cm。 え?… ドちびじゃんか。
5月生まれって、小学校においてはかなりのアドバンテージなはずだけど、背の順では前から2番目ぐらいらしいです。
まぁね、「11歳の誕生日の段階では 背は低いほうでした」が 10年後にどうなっているのか、たのしみですね。

男の子からどんどんオスになっていく予感がして、時間はもっとゆっくりになってほしいです。
ママに「この子は本当に おふろあがりにヤクルトを飲んでいた あのかわいい子と同じ生き物?」と訊くと、
「そうですよ、あの かわいいちゃんですよ。今でも かわいいちゃんですよ。」と笑って答えてくれます。
まぁ、そうだよね。ぷくぷくしていたちっちゃい身体が大きくなって、知恵もついて、欲も出る。あたりまえだよね。
それでも 大きな病気も けがもなく 育ってくれていることは、たぶんあたりまえではなく、ありがたく思います。


放送委員

ゆうりくんは、放送委員になったのだそうです。
朝の始業前と 昼の給食の時間に 校内放送を流すのだそうです。
担当の先生と6年生がサポートしてくれるので、あとは原稿を読むだけ みたいな簡単なおしごとらしいですが。
「お笑い会社」(え? "レクリエーション係" ではなく "会社" !?)をやったり、放送委員に立候補したり。
ゆうりくんって、そういう子だったっけ? 保育園の発表会で棒立ちしてなかったっけ?

そういうおとうさんもね、やりましたよ、放送委員。
ゆうりくんと同じ小学 5年生のとき、掃除の時間に音楽を流すんだけど、6年生が流していなくて、
しかたがないから、レコードをかけるのを見よう見まねでやったんだよ。
そうしたら、レコード針がガリガリって音をたててしまって、6年生が放送室にとんできました。
音楽を流し忘れた6年生が悪いんだけど、「それにしても下手くそだな」と笑われました。

あと、生徒会役員になって 校旗掲揚を毎日やってました。
みんなめんどくさがる仕事だけど、おとうさんは この仕事が大好きで、ほぼほぼ毎日引き受けてました。
朝 旗をあげて、夕方に降ろす。
旗を上げ下げするときに旗が地面につかないように丁寧にやるし、降ろした旗はきれいにたたむ。
授業中に雨が降ってくると、「先生、校旗を降ろしてしまってきます」って言って、授業を抜け出します。
先生も「え? あぁ、はい」と認めざるを得ず、なんだか楽しかったです。


スイミングスクール やめるんかい

スイミングスクールは、やっぱりやめました。
「ボク、次のグレードに上がれるまで、スイミングスクール行く!」宣言のあと、数週間で撤回。
えっ?えっ? あれ、なんやったん? もう~ ビッグサプライズやで。

ポッコリおなかが、「幼児体形」では 説明がつかなくなってきていて、ちょっと心配やで。
スイミングはやめてもいいけど、ゲームばっかりしてないで 運動したほうが えぇんちゃうか。

そう言うおとうさんは、4月の1か月間(というかかれこれ 2か月ちかく)スポーツジムに行っていません。
月額利用料だけ払って 施設を使わない、超優良顧客やで。ゲームばっかりしてないで 運動したほうが えぇんちゃうか。


2024年4月22日の糸井さんのことば

ぼくが「この人はたいしたものだなぁ」と思う人は、
総じて、似たような特長がある。
ま、ほんとは、いろいろあるんだけどね、
努力が苦にならないとか、骨惜しみしないとか、
そういうわかりやすいことももちろんだが、
わりと見過ごされている特長があるのだ。
それはね、「なめられ上手」ということだ。

だいたいの人は、いちばん怒っているのはなめられたときなんだよね。
それはもう、いかにもなめられそうな人でも、
すっごく偉いととか強いとされてる人でも、
「なめられている」と感じたときには、
どうやって「なめられない」ようにしてやるか、
「なめている」ものを、懲らしめてやるか、
怒りの感情を沸騰させて考えたり、実行したりする。
いやいや、人間ばかりじゃない。
どうぶつたちだって、もしかしたら昆虫とかだって、
会社やら国やらあらゆる組織やらだって、
「なめられている」と思われたときに、
過剰なまでに反応し報復を考えることが知られている。

「なめられる」とどうなるか、というと、
おそらく「生きにくくなる」ということなのだと思う。
いろんなことが「不利」に進む、「名誉」が損なわれるので
「自己肯定感が失われる」というような展開が予想される。
だから、強いと思われることが重要な人や組織では、
まずは「なめられない」ようにすることにコストを払う。
威嚇したりもするし、強さの誇示もし続ける。
それでも「なめられている」ときには、全力で応戦する。

と、こういうのが現実でも物語でも、わりとよくある姿だろうと思うのだが、
ときどき、「これくらい、なめられててもいいや」という感じで、
平然としている人がいるものだ。
感情的にならないで、やり過ごせるという感じかなぁ。
あなたの周辺に、いないですか、そういう人。
勝負事でも、こういう人のほうが結局勝つよね。
スポーツだと、現在の大谷翔平とか井上尚弥とかねー。
なめられてるようなことがあっても、反応しないものね。
「なめられ上手」って、大物と同じ意味なのかなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼく自身は、「なめられ上手」に憧れる「平凡」の人です。  


ゆうりくんが、3歳ぐらいのときだったか、
おとうさんは保育園の先生との面談で
「ゆうりくんが おとうさんのことを なめているように思う」
と言ったことがあります。
会社の同僚(ママ)から、
「あなた、それは 息子からなめられてるのよ」と言われて、
そうなのかなぁ、と思ったので、面談でそう言ったんだけど、
そのとき 保育園の先生が かなり激しい口調で
「この年齢の子供が親をなめるなんてことは絶対にありません。
 なんで そんなふうに感じるのですか。そんなふうに思わないでください。」
と たしなめられました。(←だじゃれではない)

キッパリ、真剣にたしなめられたので、
ちょっとびっくりして、今でもその時のことを憶えています。
育児のプロからいただいた ありがたい諫言だったので、
訂正して、お礼を言いました。
「そうか、それはよかったな」と思いました。

保育園の先生が言った「この年齢の子供」のレンジからはずれて、
ゆうりくんは「親をなめる年齢」に達したと思います。
おとうさんはやっぱりときどき、
ゆうりくんがおとうさんのことをなめているように感じて
ゆうりくんに腹が立ちます。
でも、それは「おとうさんのことをなめている」というよりは、
「おとうさんのほうが先に ゆうりくんのことをなめた態度をとって、
 その態度がボクはイヤだったよ」
という ゆうりくんの意思表示なのだろうと思います。
「さっき、おとうさんはこんな感じで ヤな感じだったよ」というね。
「子供は」というより、「ひとは」自分の鏡なんですよね。 

ゆうりくんは ふだん「なめられ上手」です。
少々なめられても、おどけて笑い飛ばすことができます。
おおらかなのは、ママの血なんでしょうね。
この家で おとうさんだけが、プンプンしているから、
おとうさんがもうちょっとなめられ上手にならないといけないです。


MUSIC

2024年4月のうごく、ゆうりくん の楽曲紹介

きのこ帝国さんの ♬ "海と花束" です。

やっと、うごく、ゆうりくんで きのこ帝国さんに歌ってもらえました。
三崎港ですからね、「海と花束」がマッチするんじゃないでしょうか。
ギターが なんだか ブリティッシュで、好きな曲です。


自律的な組織づくりは、いかに失敗するのか? 櫻本 真理

<より以下抜粋>

経営者が自律的な組織をつくりたい、と考えるのは、多くの場合自律的に仕事をしている時の方が自己決定感が高く、結果としてメンバーひとりひとりの幸福度・パフォーマンスが高くなる可能性があることが、現代の組織づくりにとって大変に重要なことだからです。
感情的にということだけではなく、人的資本経営の文脈はもちろん、人材の定着・離職を防ぐ意味でも、多様化した個人が活躍する組織をつくるためは、従来のトップダウン型では限界があるのです。

ここで、「組織は現状、どんな場所にいるのか」を的確に把握しておく必要があります。
組織はどんな特性を持っていて、どんな環境に置かれていて、どんな問題が発生していて、どんな成熟度にあるのか。
なぜ変わる必要があるのか。変わらないとどうなるのか。
どんな施策を取るのか。具体的にはどんな状態を目指すのか。それぞれの施策がどんな位置付けにあるのか。

ここからスタートせずに「自律性を高める研修」を行ったとしても、成果を最大限生み出すことは不可能です。

コミュニケーションや組織施策は、それ自体が自己目的化しやすいのが常です。
組織の目的を離れて、「あいつは自律的だ、自律的でない」などの不毛な議論が起こりがちになってしまったり「あいつは自律的だけど価値を生み出してないじゃないか、自律性を追い求めるのは間違っている、トップダウンが正しい」のような論点ずらしが起こってしまったり、1on1などの方法論に固執してしまったりします。

ですから、自律的な組織をつくろう!と言ったときには「自分たちが目的を達成するために必要な自律性ってなんだろう?」というところからスタートし、常にそれを共通認識として運用されている必要があるのです。

何か問題が起こったときには、「自律的かどうか」ではなく、自律性を必要とした「当初の目的」に立ち返ることが必要です。

(中略)

自律性を引き出すためにリーダーに不可欠なコミュニケーションスキルの例として挙げられるのが「コーチング」です。
コーチングとは、相手の主体的な意欲を引き出すコミュニケーションで、Googleがマネジャーに共通する指標は何かを調査した「Project Oxygen」で、優れたマネジャーの特徴の最も重要なものが「コーチである」ことが明らかになって以降、自律的なチームのリーダーがコーチング的な関わりをすることの必要性に関する認識は浸透してきました。

「コーチャビリティ」の重要性
しかしながら「コーチング」には、「コーチングする側のスキル」と同じ、あるいはそれ以上に重要な概念があります。
それは、「コーチャビリティ」です。
コーチャビリティという概念には、コーチングされる側がどれほど気づきや学びを得ようとしているか、フィードバックを受け止められるかという態度や、問いかけを受けて自ら内省し、言語化する認知的スキルなどを含みます。
コーチャビリティが高い人は、コーチングの中でフィードバックや問いかけを素直に受け取って自分の成長につなげます。
一方、コーチャビリティが低い人は、自己防衛が強く、コーチングが行動の変化につながりません。
ベストセラー書籍「一兆ドルコーチ」のモデルとなり、スティーブ・ジョブズやGoogleのエリック・シュミットなどシリコン・バレーの錚々たる起業家たちをコーチングしてきたビル・キャンベルも、「コーチャブルでない人にはコーチングをしない」と言ったほどです。

コーチングをしたことがある人にはわかると思うのですが、同じような問いを投げかけたとしても、相手のコーチャビリティ次第で生まれる気づきの豊かさは全く異なります。
実際、コーチングの効果の分散のうち、コーチの技術によって説明されるのはわずか15%で、残りの85%は、メンバーのレディネス、メンバーとコーチとの関係性、メンバーのコーチングへの期待など、コーチング「される側」のマインド(コーチャビリティ)に影響を受ける要因が占めています。

コーチングに限らず、コミュニケーションはすべてが双方向です。
与え手がいれば、受け手がいる。聞き手がいれば、伝え手がいる。
その双方が責任を持つことなしには、自律型のチームづくりは叶わないのは当然のことと言えます。
にもかかわらず、自律的な組織づくりのためにリーダー向け研修のみが行われると、「メンバーの自律性を引き出すのはリーダーの責任である」というメッセージが強調され、メンバー側の責任は軽視されがちです。
そうなると、リーダーは自分が影響を与えることができる範囲を超えて、過剰な負荷を負うことになります。

このような背景もあり、近年では、リーダーシップと同じくらいフォロワーシップが重要である、という議論や、全員がリーダーシップを持つシェアド・リーダーシップという考え方がなされるようになっています。

(中略)

一人ひとりが自律することも依存することもできるチームづくり
このように、認知負荷が高い中でも成果を出せるチームづくりをしていく上で一人ひとりが自律に動くためには、リーダーとメンバー双方がそれぞれの役割に沿ったアカウンタビリティを持つことが重要になります。

自律的なチームづくりにおいては「依存」が悪いわけではありません。
ただし、「自律的な人と依存的な人がいる」という構造ではなく、「一人ひとりが自律することも依存することもできる」、という状態を目指すことが大切です。
共通の目的により近づけるように、お互いの個性や強みを活かしあって相互依存しあう、という構造に変えていく必要があるのです。
特に日本人にとっては、他者とのつながりを語らずして自律を語ることはできません。
「アメリカの主体は相互独立的であり、自分と周囲の境界が明確で、主体性の源は私の中にある。
一方、日本の主体は相互協調的であり、境界が不明確で、主体性は他者との関係の中で初めて立ち上がってくる」という文化心理学の議論があります(Markus & Kitayama, 1991)が、それくらい日本人にとっては「他者がどうあるか」が「自分のありかた」に影響を与えています。
まず、他者とともに働くためには「自分の視点」の他に「他者の視点」が必要になります。
そして、共通の目的に向かって他者と協働しながら自律性を発揮するためには、自分-他者を超えた「システム」と「共通の目的」という視点が必要になります。
さらに、同じ環境が継続しない前提の中では、時間軸とともに「変化」する視点を持つ必要がある。

だからこそ、自律的なチームではひとりでは想像し尽くすことができない複雑な視点が必要になり、それらを互いに交換し合い、立体的に現状と願いを把握するための「対話」が必要になります。
自律を考えることは「つながり方」「ものの見方」「自分のありかた」を捉え直すことでもあります。
この意図を共有せずにコミュニケーションの量だけを増やすではうまくいきません。


<より以下抜粋>

アファーマティブ・ビジネス・パラダイムにおいては、顧客の欲求は全面的な肯定の対象となります。
企業間の競争は、顧客の欲求をいかに精密に把握し、それを効果的に充足させられるか、という点にかかっています。
マーケティングにおける市場調査の様々なテクニックは、そのような要請のもとに開発、洗練されてきた歴史的経緯があります。

しかし、ここに大きな問題があります。
というのも、欲求の水準が低い市場でアファーマティブ・ビジネス・パラダイムを全開で推進すると、欲求の水準はますます低下し、結果的に、ビジネスが生み出す社会問題をさらに拡大、再生産してしまうのです。

基本的なニーズが満たされた社会において、消費は社会的な地位を他者に見せびらかすための記号という意味を大きく持ちます。
そのような社会において「他者に優越したい」という人々の欲求を肯定的に企業が受け入れ、これを満足させるために全力で取り組めば何が起きるか、は容易に想像できるでしょう。 

(中略)

アファーマティブ・ビジネス・パラダイムによって、顧客のルーズなニーズやウォンツに対して適応することを続ければ、やがて社会全体の風景がルーズな方向に引きずられ、それはまた、その市場のグローバルな競争力の喪失にもつながるということです。
だからこそ、現在の私たちは、顧客の美的・倫理的感性を引き上げるようなクリティカル・ビジネス・パラダイムを必要としているのです。

私たちの社会は、人々の心身を耗弱させ、地球環境に甚大な負荷をかけながら、日々、膨大な量の物品を世の中に送り出しているわけですが、これらの品々の中に、私たちが本当に「次の世代の人々に是非とも譲り渡していきたい、私たちはこういうものを作ったのだと誇りを持って伝えたい」と思えるようなものを生み出せているのかどうか、クリティカルに考える必要があります。

(中略)

顧客志向という言葉があります。
一般に、この言葉は、顧客の要求や欲求に実直かつ誠実に対応することを意味しますが、しかし本当に、顧客の要求をそのままアファーマティブに受け入れ、対応することが顧客志向と言えるのでしょうか。

確かに、顧客の要求が水準の高いもの、的確なものであるのであれば、その顧客の要求に応えることは顧客志向の実践と言えるかもしれません。
しかし、もしその顧客の要求が水準の低いもの、あるいは的外れなものであるとすれば、その顧客の要求をアファーマティブに受け入れて対応することで、顧客の人生のクオリティやパフォーマンスはむしろ低下してしまうでしょう。

そのようなケースでは、むしろ顧客の要求をクリティカルに否定し、顧客の要求の水準をアップデートするような教育や啓蒙を行うことが本当の意味での顧客志向ということになります。


今、非常に強く求められている考え方だと思います。
アファーマティブをやめる、というか、やりすぎないようにすることで、解決する問題はいろいろあると思います。さすが 山口周。
ただし、顧客の要求をクリティカルに「否定」する必要はないのだと思います。
ただ、『あなたには この価値感がわかりますか? わかるとかっこいいんですけどね』と伝えていけばよいのです。
"伝え方が 9割" で、その価値観をまだ理解できていない人に 「わかるようになりたい」と思わせるような チャーミングな伝え方をしていかなければいけません。
アファーマティブ(顧客の欲求は全面的な肯定)から クリティカル(顧客の要求の水準をアップデートする)に軸足を変えていく時にキーとなる概念が『粋』なのではないでしょうか。
どういう感じが『粋』なのか、は、それを愛してやまない人達が それぞれに経験を積んで、共通認識として醸成されるようなもの。
アメトーーク!の番組内容がそれです。『粋』を知らない蛍原に『粋』を語る。おもしろく語る。
おもしろく語れないのでは、ダメなんですよ。おもしろく語ってなんぼです。
また一方で、櫻本真理さんが言っているように、聞き手が "コーチャブル" かどうかも すごく大切です。
私たちは、コーチャビリティの高い人間になることを目指し、コーチャビリティの高い人間を育てていかなければいけません。


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