ゆうりしんぶん 2023年7月号


うごく、ゆうりくん

2023年6月のゆうりくん 

ゆうりくんの父方の芳江おばあちゃんの23回忌に列席しました。
おとうさんの出身地で芳江おばあちゃんのお墓がある浜松へ。
法事ですが、とても楽しい雰囲気。
最年少列席者のゆうりくんは、
親戚のみなさんに優しくしていただいてうれしかったみたい。
「また会いたいなぁ」と何度も言ってくれて、おとうさんもうれしいです。

法事の翌日も学校がたまたまお休みだったので、
蒲郡や豊橋で遊んでから帰ってきました。


スイミングで飛び級

ゆうりくんは スイミングスクールを続けています。
おとうさんは「やめていいよ」と言っているし、
本人も やめるか・続けるか で揺れているんだと思いますが、
ここ最近、昇級試験で 2段階昇級が続いているみたいです。

背泳ぎで25m泳ぐ(プラスアルファ:詳細不明)のが
昇級の条件のようですが、どうやら泳げているらしい。

へぇー、いつのまにそんなに成長したの?
おとうさんがみていないところのほうが、成長するのかもしれません。

ナタデココ

最近、ゆうりくんが気に入っているドリンクは
ITOENのナタデココ ヨーグルト味。

牛乳、乳製品が苦手で、
ヨーグルトも食べないんですが、
これはおいしいのだそう。

フタが閉められない容器なので、
1本一気に飲み干すしかないのがキツイ。
ワイルドだろー?


SHARES ラグーナ蒲郡


SHARES ラグーナ蒲郡は、「泊まれる住宅展示場」
住宅展示場が閉まったあと、展示されている住宅に泊まれます。

住宅展示場というわりには… 大手のハウスメーカーの展示はなく
本当に住宅展示場として機能しているかどうか は怪しい。

宿泊施設として稼いでいるのかな、と思うけど、
この夜の利用客は うちと、お隣の2組のみ。大丈夫か!?
「昼間は住宅展示場」であるため 17:00~18:30 の間にチェックイン
しなければならず、10:00のチェックアウトはマスト。
連泊はあんまり想定されてない感じ。
だから、「暮らすように泊まる」というキャッチフレーズも
あんまりピタとは はまっていないんですよね。

でも、うまれてからずっとマンション暮らしのゆうりくんにとっては
一軒家はちょっと憧れちゃう存在。

それぞれ違う14軒から 1軒が選べる というのがね、たまんないです。
ゆうりくんが選んだのは、高栄ホームのOFFTIME。
「外装・内装がいちばんかっこいい」というより、
ママとすごす様子がいちばん思い浮かべられたおうちを選びました。


2023年6月21日の 糸井重里さんのことば

ここしばらく、人に会う仕事を大量に減らして、
じっくりひとりで考える時間を過ごしてきたのだが、
当然のことながら、それがそうそううまく行くはずもなく、
予定通りにふつうの日々を復活させた
(ほんとは旅に出ちゃえばよかったなと、いまさら思う)。

で、まことにいつもの「ほぼ日」で過ごしていると、
あらためて、なかなかハードなおもしろい場所だとわかる。
会社にいるときというのは、だいたいはミーティングだ。
「無駄な会議はなくそう」という組織は多いけれど、
なくしたほうがいい会議ならなくせばいいだけのことだ。
「ほぼ日」は、ミーティングが稼ぎ場所だと思っている。
ひとりで考えることが重要な場合も、もちろんある。
しかし、頭(あたま)を集めて、話し合うというのは、
偶然やら寄り道やら事故みたいな流れも含めて、
ひとりじゃできなかったことを見つける大チャンスだ。

そういう場で、よく「それ、おもしろいか?」という
ずいぶんラジカルでいじわるにも思える質問がある。
「そのままじゃ、どうもおもしろいと思えないんだよね」
という意見は、大人の会議ではあんまり言いにくそうだ。
ただ、「ほぼ日」では、そこにいるみんながそれぞれに、
「それ、おもしろいかなぁ?」の気持ちは持っていたい。
ひとりで考えていたら、「いや、おもしろいよ」
という理屈をひねり出してしまいそうなこともあろう。
ただ、人が集まってのミーティングでは、
ごまかしの理屈はやっぱりばれやすい。
単に分担を決めて割り振って、なにかを確認するだけなら、
ある程度の経験や技術を持っている者どうしなら、
仕事はあんまりむつかしくはないはずだ。
そうじゃなくて、「なにかをなんとかしたい」
というミーティングは、とにかくすべてむつかしいのである。
そういう意味では「ほぼ日」の仕事は、ぜんぶむつかしい。
そこから、時には満点を、時には妥協を、時には無念を、
時には快感を探しながらやっていくのである。
答えの見えてることについては、話してもしょうがない。
「どうしたらいいんだろう」こそが、ハードでおもしろい。
そんな場を、いくつも重ねていって一日の仕事が終わる。
いやぁ、なかなかくたびれるものだとあらためて知った。
でも、これがないと、ほんとにさみしいんだよなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ハードでおもしろい」って、疲れるけど理想なんだよなぁ。 
 

2023年6月25日の 糸井重里さんのことば

思うこと、考えることはばらばらにあちこち向いてて、
ぜんぶのことを考えられるわけもないのだけれど、
じぶんのできることは、あんまりたくさんはない。
「たいていの難しいことっていうのは、
わりと簡単なことが絡みあってるんですよね。
ひとつずつのできることを、ひとつずつやるしかない」と、
社長業の先輩が言っていたけれど、
たぶん、そういうことなんだろうなぁ。
いつでも、基本は「できることをしよう」であり、
そのスタートは「できることはなんだ」で、
いったん忘れるべきは「できないこと」であろう。
しかも、笑顔でやりましょう、そのほうがいいから。
ここ何年か、「自己肯定感」ということばが
流行語のようにもなっているし、さらに言えば、
流行に関係なくちゃんと考えるべき問題だと思うので、
ずうっとそのあたりのことを考えている。
ぼく自身、「自己肯定感」ということばを知ったとき、
「それ、おれは薄いかもしれないなぁ」と思った。
逆に、若いころに学生の間で「自己否定」ということばが
流行していたことも思い出した。
でも、じぶんがいることを肯定できていること、
じぶんが肯定されていると感じること、は、
生きるための基本中の基本だろう。
「生まれてすみません」では、生きていけない。

「自己肯定感」をちょうどよい感じで持っている人は、
「すみません」とも「どうだ!」とも思っていない。
そもそも「自己肯定感」ということばさえ、
知らないままでもかまわないだろうと思う。
意外に思えるかもしれないけれど、
いわゆる「自己愛」の強い人だとか、
「承認欲求」や「称賛欲求」「権力欲求」の強い人は、
おそらく根本的なところで「自己肯定感」に
「割れ」や「欠け」があるのではないかと思い至った。
だからこそ、表現したいとか向上したいとかの、
世界をおもしろくする動機も生まれるのだろうけれど、
なかなか人間って切ないものであるよなぁ、と。
たぶん、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の主人公は、
夢のように自己肯定感のある人なんだろうな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
2023年って、なんか大変な年だったってなるんだろうなー。 


2023年6月28日の 糸井重里さんのことば

性善説をとるか、性悪説をとるかというようなことが、
よく対立的に語られたりするけれど、
たいていの大人は知っているんですよね、
「そういうふうには決められるもんじゃない」と。
時には信じてやりたいこともあるし、
時と場合によっては疑ってかかることだってある。
にんげんだもの。はっきりしないけど、そういうものだ。 

性善説とか性悪説のように名前はついてないけれど、
「人は得をするように生きる」という説が、
たぶん、いまの時代にはいちばん流行ってる気がする。
「同じものが300円と290円で売っていたら、
290円のほうを人は買う」という考えはたぶん当たってる。
わざわざ10円高いほうを買う人はいないだろう、と。
でも、これだって、すっごく感じ悪い店が290円で、
ちょっと感じいい人のいる店が300円で売ってたら、
はたしてどうなるだろう?
どこかへ向かうときの道の選び方にしたって、
近道のほうを選ぶとはかぎらない。
途中の見晴らしがいいとか、空いているとか、
あんまり理由もなくても、回り道を選んだりもする。
ニュース解説などでも、国や権力者の判断や選択は
「得になるほうを選ぶ」という前提で語られる。
なるほどなぁと思わされることも多いけれど、
はたして「損得や経済合理性」だけで判断されているか?
そのあたりについても、ほんとはよくわからない。
だって、実際の歴史は「損得」だけで動いてないからこそ、
さまざまな物語が生まれて伝えられてきたわけだし。

ごはん食べるのに、いつごろからはじまったのか、
「コスパがいい」とか強調するのも、なんだかなぁ、
得したくて食事をしてるわけじゃないんだしねー。
もともとの話にもどると、そういうのは「性得説」に
とらわれているのかもしれない。
肉なんかひとつも入ってないコロッケでも、
肉が少ないから損してるなんて思わないで食べるよね。
「コスパがわるい」とか、ずっと人は言ってなかったよ。
いやいや、ごめん、怒ってるわけじゃない。
なんか「性得説」が流行ってるんだろうな、と思ってさ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人が、いわゆるビジネスの考えをまねしている時代なのかも。
  

ゆうりくんが 大人になって、これを読んでいてくれるとすると、
その時にはもう、「安ければ安いほどいい」という考えは
日本にはなくなっているのかもしれません。
ゆうりくんが10歳だったときに、世の中では、こんなことが問題になっていた
ということを、昔話のように読んでもらっていいです。

日本という国は、工夫が上手で、質の良いものをたくさん早くつくることが
できました。新しいものを発明する能力は、そこまで強くないけど、
他の国がつくったものを見て、「それなら僕らも作れるよ」と
もっと上手に、もっと早くつくることができたわけです。
そういう日本の良さが、何百年も前から20世紀まで確かにあって、
世界中から「すごいな」と言われていたし、ゆうりくんが10歳の今だって
まだまだ褒められ続けていたりします。良いことです。

日本人には「お金稼ぎは強欲だから良くない」と、なるべく安くつくる
工夫をして、良いものを安く売るのをよしとする考えをもってもいました。
「良いものが安い」というのは、すごく魅力的なことだよね。
でも、そのせいで日本人は今、とても苦しんでいます。

「良くて安い」のが当たり前になってしまったんだね。
買う人たちが強欲になっちゃった。
品質の良さを上げるのは大変だから、とにかく安くしようと考えて、
そのためには、利益を削らないといけなかったんだよね。
頑張っても頑張ってもお金が稼げないから、自信がなくなっちゃうし、
お金が稼げないから、安いものしか買えなくなってしまいました。

ロシアとウクライナの戦争とかの影響もあって、材料が高くなっているので、
値段をあげなきゃいけないんだけど、それでも「私達は値段を変えません」
とがんばってしまう定食屋さんがいたりします。
「値段を上げるのは、これまでひいきにしてくれていたお客さんに悪い」
と言うんだよね。
実際にお客さんに文句言われたわけでもないのに、文句を言うお客さんなんて
優しくないのに、ただただお客さんが怖くて値段を上げないでいる。
お客さんの優しさを信用してあげていないんじゃないかな、と思います。

商品の値段を、その価値のとおりに正しくつけたら、買ってくれる確率は
2分の1です。買うかどうしようか、迷ってしまいます。
迷った末に買う時、それをすごく大切に使おうと考えます。 
それがただしい値段。多くの人が飛びつくような値段は間違った値段。
このことを、よくおぼえておいてください。

「ものが高くてなかなか買えない」というのは、さびしくて悲しい。
だけど、簡単に安くしては、売る人はやっぱりさびしくて悲しい。
じゃあ、どうするのか。
きちんとした値段で売り買いするけど、そのときに売り手も買い手も
楽しい気分になるように、そこを一生懸命 工夫するんだよ。
糸井さんが「ちょっと感じいい人のいる店」という、ヒントをくれたよ。


2023年6月6日の 糸井重里さんのことば

唐突に言いますけど、大谷翔平はすばらしいと思います。
大投手だけでなく大打者で、「二刀流」と呼ばれています。
すごい選手二人分の活躍をひとりやってるわけです。
ほれぼれするようなヒーローで、しかも愛嬌を感じさせる。
将棋の藤井聡太七冠も、ほんとにすばらしいです。
冠ひとつ持つだけでも大変なのに、それを7つですよ。
しかも、若くしてということもすごいです。
どちらも驕り高ぶった感じがないのもいいですよね。

ここまで、ぼくの素直な気持ちなのですが、
実は、これから書くことの前フリです。

大谷翔平がひとりだけいても、
二刀流はおろか野球というゲームそのものが成り立ちません。
あの豪速球も捕手のミットに向かって投げてるわけだし、
三振してくれる相手打者がいなけりゃ奪三振もない。
ホームラン打つにも、相手投手が投げてくれなきゃ、
バット持って強く振ってもどうにもなりません。
二刀流の大活躍はすごいけど、チームの他のメンバーや、
相手チームや、ベンチや球団や、観客、ファン、野次馬、
そういう人たちがつながっていてこその大谷翔平です。

藤井聡太七冠にしても、その輝く冠は、
とても将棋の強い前王者から「奪取」したものです。
高度な対戦相手がいなかったら対戦はできなかったのです。
七冠それぞれに、勝っては負けた人の名が刻まれています。
いずれいずれは、藤井聡太という名もそうなるのでしょう。

ひとりでたくさんのことをやれるって、
わりと憧れられたりもするのですが、
実際には、ひとりでできることって、ほんとに限られているんです。
どんな仕事でも、たぶんそうだと思うのですが、
「なんでもひとりでやれる」のは自慢にはならなくて、
それは「いいなかま」とのチームがつくれてない、
ということであるかもしれないわけです。
ひとりでいられる覚悟は、ほんとうに大切なものですが、
その「ひとり」が無限につながっているという想像力と、
だれもが、じぶん以外の「ひとり」なのだという事実を、
忘れちゃぁなんねぇぞということです。
25年も、毎日、こうやってぼくが「今日のダーリン」を
書いてこられたのも、ひとりでやれたのじゃございません。

この日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
今日からまた、のびのびした新人のような気持ちでやります。  

ゆうりくんが得意なこと、上手なこと、について思い浮かべてみてください。
それが得意になるように、綿密に計画をたてて、難しい判断を繰り返して、
その 不断の努力のおかげで 得意になったのか、どうでしょうか。

「こうやればうまくいくんじゃないかな」とひらめいて、
がんばったおかげでもあるかもしれないけど、
多くの場合「こっちの方向に向かうのはイヤだな」という予感がして、
その反対の方向に逃げていただけだったりして。
だけど、そんなこんなをしているうちに、あんまり無理しないで、
良い結果をコンスタントに出せるようになっていたというのが、
「得意」「上手」の正体なのではないか、とおとうさんは思います。
「なんで得意になったの?」と聞かれても、上手であれば上手であるほど
「よくわからない」と答えるしかないんじゃないかな、と思います。

2023年6月25日の 糸井重里さんのことば の
「ひとつずつのできることを、ひとつずつやるしかない」というのも
そういうことを言ってるのかな、と思います。

2023年6月6日の 糸井重里さんのことば の 
『ひとりでいられる覚悟は、ほんとうに大切なものですが、
 その「ひとり」が無限につながっているという想像力と、
 だれもが、じぶん以外の「ひとり」なのだという事実を、
 忘れちゃぁなんねぇぞということです。』
というのは、とても大切なことを言っています。

ゆうりくんの「得意」や「上手」は、いろんな人のおかげでできている。
上手にやる方法を教えてくれた人は もちろんそうだけど、
これを上手にやったら喜んでくれる人がいる、とか、
これが上手でない人を見て かなしい気分になった、とか、
あいつはたいていのことは僕より上手だけど、これだけは負けないぜ、とか
いろんな人に後押しされての「得意」「上手」です。
難しい局面で ギリギリの判断をしたこともあるかもしれないけれど、
その判断とか努力の何倍もの影響を 多くの人から受けてきたんじゃないかな。
だから「自分ひとりで育ったなんて思うなよ」ということです。
そして、自分にだって誰かを育てる・後押しをすることができる
ということをきちんと認識して はげむことです。

さて、ここでちょっと話が変わるんだけど…
「人生を捧げる」ということが、良いこととして よく褒められます。
だけど、おとうさんは「人生を捧げちゃいけない」と思っています。
「好きで楽しくて、ついついやっちゃう」というのならいいんだ。
だけど、見返りのないもののために自分の人生を犠牲にする
というのは、いくらかわいそうに思っても、やってはいけません。
やさしい ゆうりくんだから、釘をさしておきます。
自分ひとりで 問題のすべてを受けとめる というのは、
非常に消耗するし、頑張った通りには結果が出ません。
勝手に人生を捧げておいて 「見返りがない」と文句を言うのはダメだし
もし仮にやれたとして、一緒に喜ぶ人がいないのでは やっぱりダメです。
「なんでもひとりでやれる」のは自慢にはならない
という糸井さんの言葉、いつも胸にしまっておいてください。


MUSIC

2023年6月のうごく、ゆうりくん の楽曲紹介

阿部芙蓉美さんの ♬ "cinema" です。

あ…。2か月連続で阿部芙蓉美さんにしちゃった。芸がなさすぎる。
もともは 水曜日のカンパネラさんの ♬ "シャドウ" の予定でした。
ムービーを取りながら、頭の中ではシャドウがかかっていたんですけど
シャドウでもつくれたはずなんですけど、
帰ってきてからの余韻が、カンパネラではなく、阿部さんでした。
実は ♬ "cinema" はこれまで聴いてなかった曲です。
阿部芙蓉美さんの曲を片っ端から聴いていってみつけました。

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